中野浩一!ヨーロッパで今も尊敬されている日本が誇る伝説のアスリート!
日本政府が将棋の羽生善治竜王と囲碁の井山裕太7冠に国民栄誉賞を授与する検討に入ったと言うニュースが話題になってますね。
個人団体合わせて過去に24名の受賞者がいますが、国民栄誉賞は主に首相が発案して内閣府が検討し決定という流れで授与されます。
世論の動向も加味され明確な基準もないために「政権の人気取りに利用されている」との批判もありましたね。
今回の将棋と囲碁の抱き合わせ授与は一部から批判の声が上がっているようですが、そのあたりは政府の判断なので仕方のないところなのでしょうか?
そもそも国民栄誉賞って?
1977年に国民栄誉賞表彰規程が定められ、時の首相福田赳夫によって創設されました。そしてその定義は政府によると。
「広く国民に敬愛され社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえること」とあります。
曖昧すぎて果たしてこれを定義と呼んでもいいものか微妙なところではありますね。
対象者の条件は?
個人・団体は関係なく国籍も不問、また故人もその対象で没後に受賞された方も12名おられます。
これもまた曖昧ですね。死後何十年も経って授与するって言われてもねぇ。ちなみにこれまで受賞を辞退したのは、作曲家の古関裕而にプロ野球の福本豊とイチローのお三方。
古関裕而さんはご遺族が辞退され、イチロー選手の辞退理由は不明ですが、福本さんに至っては「そんなんもろうたら立ちションもできひんがな」という名言を残し辞退されました。
でもほとんどがスポーツと芸術・芸能関係者
「敬愛され希望を与える」という文言が入ってるせいか、やはり受賞者はスポーツ・芸能関係のための賞だという印象は否めないですね。
事実それ以外の分野での活躍によって受賞したのは、1984に受賞した冒険家の植村直己さんだけ。今回のお二人はそれ以来ということになりますね。
国民栄誉賞が発表されるたびに「当然だ」という声や「なんで?」という批判もありました、私はこの賞の話題が出ると必ず思い出すアスリートがいます。
それがヨーロッパで現在も一番尊敬されている日本人ミスター競輪・中野浩一さんだぁ!
競輪選手そして自転車競技の選手として中野浩一の他に類を見ない脅威の実績!
1975年に日本競輪学校を卒業。そしてその年にデビューから18連勝を記録。福岡出身であるところから「九州のハヤブサ」と異名を取ります。
その後も活躍を続け1980年には日本のプロスポーツ選手初の獲得賞金1億円を達成!
その他にも年間賞金王史上最多の6回、出走回数1236回のうち1着なんと666回!特別競輪優勝169回という前人未到の成績を残しています。
しかし世界に誇れる記録は自転車競技にあり!
1976年イタリアで開催された「世界自転車選手権スプリント」に初参加。スプリントとは2人の選手がトラックを3周し着順を競うもので、3本勝負で2本を取った選手が勝者となります。
このときは同じ日本人選手の菅田順和に3位決定戦に破れ4位に終わりますが・・・。
翌1977年ベネズエラ大会から1986年アメリカ大会までなんと世界選手権スプリント10連覇の大偉業を達成!
これは今も同一競技世界選手権最多連覇としてギネスに認定されています。
特に最後の年アメリカのコロラドスプリングスで行われた大会では、5月に練習中落車転倒し折れた肋骨が肺に突き刺さるという重傷を負い、出場を絶望視されていましたが完治しないまま8月の大会に出場。
200メートルタイムトライアルでは当時の世界新記録を叩き出し、さすが「世界のナカノだ」観客を驚嘆させ見事10連覇を飾りました。
人前で初めて流した涙
出場を危ぶまれるほどの大怪我をしながらの優勝したことへの安堵感、そしてもうひとつ涙には大きな理由がありました。
中野さんが初めて世界選手権に優勝した日に、ジャイアンツの王選手がホームラン世界記録を樹立。
当然メディアの扱いは天と地ほども違いますね。そして翌年2連覇したときもこれまた王選手の800号ホームラン打ちメディアが大々的に取り上げ、中野さんの扱いも小さなものに。
このとき「よし!ジャイアンツが9連覇なら俺は10連覇してやる!」と心に誓ったそうです。
10連覇の達成はさぞかし嬉しかったでしょうね。それが人目を憚らず流した涙の理由だったんですね。
目標を達成した中野さんはスプリントからの撤退を表明。帰国後当時の中曽根総理から1966年佐藤栄作総理が創設した「内閣総理大臣顕彰」が授与されました。
・・・というかこのときに国民栄誉賞授与やろ!
これは自転車競技が日本ではマイナースポーツであったこと、そして公営ギャンブルがまだまだイメージが悪かったことが影響されていると言われています。
読んでビックリ間違いなし!ヨーロッバでの中野伝説が凄すぎる!
ヨーロッバではオリンピック・サッカーWカップ・ツール・ド・フランスが世界3大スポーツイベントだと言われています。
しかし人気の点ではオリンピックは他の2大会よりも人気は劣っているようで、ヨーロッパではサッカー、テニスに続いて自転車競技が人気です。
特にツール・ド・フランスが開催されるフランスやその周辺国では、自転車競技の人気は凄まじく強い選手は英雄扱いされています。
そんな地域ですから世界選手権10連覇した中野浩一といえば、現在でも子供から老人まで知らない人はいないくらいの大ヒーローです。
ほんとにマジ?恐るべき数々の中野伝説エピソード!
ここまでのヒーローになると伝説のスケールもかなり大きくなるもので、中にはマジで?と疑いたくなるようなものもありますが、その伝説を信頼性の高いものから順番に列挙しますね!
1 ヨーロッパで現地の人と話していると相手が中野浩一だと分かった瞬間、驚きのあまり固まってしまった。
これはご本人が語ったことだからまちがいないですね。
2 フランスでエールフランス機に搭乗するとき赤絨毯が敷かれる。
ビートたけしさんが「さんまのまんま」で披露したエピソード。さすがふたりとも苗字の上に「世界の」が付くだけのことはありますね。
3 現役時代これもエールフランス機で機長からサインを求められコックピットに招待される。
現在は保安上の理由から禁止されています。
4 帰国のチケットが取れなくて困っているとホテルからの連絡で航空会社が即刻チケットを手配してくれた。
飛行機関係が続きましたね。
5 ドイツのヤン・ウルリッヒが1997年ツール・ド・フランスで優勝しテレビで解説者をしていた中野さんがウルリッヒへのインタビューで「僕を知ってる?」と聞くと「あなたを知らない自転車競技の選手がこの世にいるんですか?」と答えた。
これは有名な話しです。
6 ツール・ド・フランス個人総合5連覇を果たしたスペインの英雄、ミゲル・インドゥラインが優勝のインタビュアーが中野さんと知り緊張のあまり満足に受け答えができなかった。
フジテレビ関係者が目撃。
7 フジテレビの解説者としてツール・ド・フランスに行き選手と関係者の休憩所に中野さんが入って行くと、そこにいた全員が立ち上がって挨拶した。
これもフジ関係者が目撃。
8 フランスのミシュラン三つ星レストランはどこも、中野浩一と言えば予約最優先。
これもまた有名な話しです。シェフ自らサインを求めに来たというエピソードもあります。
ここからはあまり真面目に捉えられないけど、そんなことがあっても不思議じゃないというエピソードです。
9 以前ゴルフの石川遼選手が「日本のタイガー・ウッズ」と言われたことがありましたが、未だにヨーロッパの様々な地域で自転車に乗ると「俺は〇〇のナカノだ!」というおっさんがいる。
おっちょこちょいのおっさんは世界共通ですね!
10 日本人留学生がヨーロッパでメガネをかけて自転車に乗っていると、見ている人たちから「ナカノ」「ナカノ」と大勢から声を掛けられた。
これもなんとなくありそうなことですね。
11 中野という苗字の日本人がヨーロッパに留学して「ナカノです」と自己紹介すると尊敬の眼差しで見られる。
日本の中野さんはすべて中野浩一の親戚じゃないぞ!
12 ヨーロッパで日本人観光客を見かけると「ナカノ!」と声を掛けられる。
これは一時期にはあったかも知れないですね。私が大昔アメリカに1年半いた頃は知らない人から「カラテ!」と声を掛けられたことが何度もありました。
私見を含めたまとめ
日本ではあまり知られていないが海外では恐ろしく評価の高い人は間違いなく存在します。
不当に評価されていない日本は間違っている!そんな批判はあって当然だと思います。
ただ私は思います。この問題にはふたつの重要な点があり、ひとつは世論を気にするあまり政権の支持アップに使う政治的な面。
そしてもうひとつは目先の話題性ばかり追い続け、独自性を失ったメディアの報道姿勢。柔道でオリンピック3連覇の偉業を成し遂げた野村忠宏さんが(彼もまた国民栄誉賞を授与されるに値するアスリートだと思いますが)おっしゃっていたことがすべてを表していますね。
すなわち「自分が金メダルを取った翌日のスポーツ紙の一面はヤワラちゃんの銀メダルだった」ここにスポーツだけではないメディアの姿勢がよく出ていますね。
でもそんなことには関係なく中野浩一さんが残された実績は、今も色褪せることなく燦然と輝いている日本のアスリートの誇りだと言っても間違い無いですね。
最後に中野さんが2度目に人前で涙を流したのは引退の記者会見のとき。
引退に当たって心境を聞かれた中野さん、体力的な問題だとか寂しいとかの感想を述べるアスリートが多い中彼は次のように語りました。
「今日が一番嬉しい。世界選手権で初めて優勝したとき取材に来てくれた記者は数名に過ぎなかったのに、今日こんなに大勢の記者の人たちが来てくれるとは思わなかった」
そう250人集まった記者の前で当時の心境をまじえ心情を吐露したんですね。
あれだけの成績を残しヨーロッパでは英雄扱いされても、日本での引退会見のときにやっと長年の胸のつかえが取れたのでしょうか?
間違いなく日本スポーツ史上語り継がれるべき偉大なるアスリートですね!