年齢を重ねて来ると普段の何気ない光景を見ても、感動で涙腺が緩んで来ることがしばしばあります。
思わず自分自身で苦笑してしまいますが、年齢を超えて文句なしに感動するのがスポーツの試合ですね。
「筋書きのないドラマ」だと例えられるようにスポーツ観戦では時として深い感動や、奇跡の瞬間を目にして来た方も多くおられと思います。
そこでそんなスポーツの今でも身震いするような感動的なシーンを思い出してみました。
今回も例によって少しマニアックなところもありますが、見た方は忘れられない素敵な試合やシーンだと思います。
WBA世界フライ級タイトルマッチ!大場政夫VSチャチャイ・チオノイ♪
1972年1月2日に行われた日本ボクシング界伝説の試合。当時私は小学生でしたが大場政夫のそれまでにないスマートなイメージとファイティングスピリット溢れる試合の大ファンでした。
この試合は大場の5度目の防衛戦ですが調べてみるとすべての防衛戦がランキング3位以上ばかり、しかも当時はWBAとWBCの2団体しかなく階級は11。
主要4団体で17も階級分けされ60人以上の世界のチャンピオンが存在する現在とは、世界のチャンピオンの価値は当然の事ながらまったく違います。
そんな状況の中常にトップ・コンテンダーばかり選んで防衛し続けた大場の凄さがよく分かりますね。
そして5度目の相手に選んだのが過去2度世界王者を獲得したタイの英雄チャチャイ。
試合は1回にチャチャイのロングフックで大場がダウン、しかもダウンしたときに右足を捻挫するという波乱の幕開け。その後右足を引きずりながら徐々にポイントを奪い返した大場が12回に3度のダウンを奪いKO勝利!
その不屈の闘志とスリリングな試合内容は、今でもハッキリ覚えていて勝った瞬間思わず家族でバンザイした記憶と共に忘れられない試合です。
そして大場はこの伝説の試合の23日後新車のシヴォレー・コルベットを運転中 、首都高速で23歳の命を散らし「永遠のチャンピオン」と称されています。
奇跡のバックスクリーン3連発♪
1985年4月17日阪神甲子園球場。対ジャイアンツ戦7回裏の攻撃。
タイガースファンにとってはもう伝説中の伝説ですね。3番バースの逆転3ランから始まり4番掛布、5番岡田と三人連続でバックスクリーンに放り込む(厳密に言えば掛布のホームランはバックスクリーンの左でしたが)奇跡に近い場面でした。
実は私はこの試合友人が急遽行けなくなったからと、チケットを譲り受け1塁側のスタンドで伝説を生で見たひとりです。後で友人は悔しさのあまり悶絶していましたが(笑)
タイガースファンとしてこの場面に立ち会えたのは幸せでしたね。三人目の岡田が打ったときのざわめきと、異様な盛り上がりは今も印象深く覚えています。
21年ぶりのリーグ優勝と球団初の日本一!その中でも忘れられないシーンです。
清原和博9回2アウトの涙♪
1987年11月1日。西武球場。
この試合の2年前のドラフト会議、かねてからジャイアンツ入りを熱望していた清原は当然指名されると思っていたことでしょう。
新聞やテレビでもジャイアンツは清原1位指名確実という情報を連日報道していました。
しかしドラフト当日ジャイアンツが1位指名したのは、なんとPL学園のチームメイトで早大進学を名言していた桑田でした。
記者会見で清原は悔し涙を流しその後西武ライオンズに入団、1年目から30本以上のホームランを打ち西武全盛時代の中軸打者に成長します。
そして1987年の日本シリーズ最終戦、3-1と西武リードでむかえた9回2アウト。あとひとりで日本一に輝くそのときファーストを守っていた清原が涙を流しました。
子供の頃から憧れのジャイアンツにドラフトで指名されなかった悔しさ、そしてあとひとりでその雪辱を・・・様々な感情が入り混じって感極まったのでしょうね。
マウンドに立っていた工藤も「あの涙はほんとうに美しかった」と語っているように、私も感動してもらい泣きしました。
しかしその9年後FA宣言しジャイアンツ入団会見を見て思わす叫んでしまいました。
「あの涙を返せ!」
1995年4月20日。日本武道館で行われた「バーリ・トゥード・ジャパンオープン95」。
「バーリ・トゥード」とはポルトガル語で「何でもあり」現在の総合格闘技の原型になったファイト・スタイル。
この大会は「格闘技界の黒船」と言われたグレイシー柔術最強の男、ヒクソン・グレイシーの参戦が格闘技ファンの話題を呼びました。
そしてそのワンデートーナメントという過酷な闘いのリングに上った、参加選手中もっとも小柄なファイターが、当時修斗ウェルター級チャンピオンの中井祐樹でした。
一回戦の相手は「喧嘩屋」と呼ばれるジェラルド・ゴルドー。中井との体格差は実に身長27cm体重29kg!
ゴングが鳴ると試合開始直後からゴルドーは喧嘩屋の本性をムキ出しに、中井に反則のサミング(目潰し)を中井の右目に仕掛けます。
大男の外国人に右目を潰され上から容赦のないパンチを顔面に浴びせられる小柄な日本人ファイター。
観客の誰もがゴルドーの勝利を確信していた中、4ラウンド一瞬のすきをついた中井のヒール・ホールドにゴルドーはたまらずタップ!
その後傷だらけの姿で準決勝を勝ち上がり、決勝の相手はヒクソン・グレイシー。中井はヒクソンに寝技勝負を掛けますがヒクソンのチョーク・スリーパーにタップ。
満身創痍での準優勝で中井は修斗の名誉を守り、それと引きかえに右目の視力を失いました。
その事実は長い間公表されてはいませんでしたがその理由を中井は「まだマイナーだった総合格闘技に危険なイメージを広げたくなかった」からだそうです。
ヒクソンは後のインタビューでこう語っています。
「私は6人の日本人格闘家と闘ったが、日本のファンには高田延彦との試合が印象に残っているようだね。しかし私がファイターとして尊敬しているのは中井祐樹であり船木誠勝だ」
天皇皇后両陛下にひざまずいて最敬礼した外国人ジョッキー♪
2012年10月28日。東京競馬場146回天皇賞秋。この日は両陛下が観戦にお越しになったこのレースを制したのはエイシンフラッシュそして鞍上はイタリア人ジョッキーのミルコ・デムーロ。
彼のとった感動的なシーンを覚えている方も多いと思います。
ゴールイン後のウイニング・ランで両陛下ご臨席のスタンド前で、ジョッキーは馬上から一例するのが慣例となっていましたが、彼はなんと下馬し最敬礼をしたのです。
この動画はおそらくファンの方が撮影されたもので、実況はなく最敬礼の場面もターフビジョンを通してのものですが、テレビの実況よりもリアルにその場にいたファンの感動を表現していますね。
レース後デムーロは「両陛下がいらした特別な日に勝つことが出来てとてもうれしい」と感激の表情で語っていたそうです。
彼の親日家ぶりは有名で東日本大震災後の2011年3月26日、ドバイ・ワールドで日本馬ヴィクトワールピサで優勝ときもゴールインすると右腕につけた喪章に手をやり。
「今日は朝からずっと日本人のために祈ってました。家族のみんなありがとう。私は日本を愛しています、ありがとう」と涙で語っていたのも感動的でした。
ちなみにJRAではレース後、本馬場での下馬はアクシデントを除いて禁止されていますが、デムーロの下馬はお咎めなしだったそうです。
外国人であるデムーロが両陛下に表した敬意。海外でも絶賛されたそうですが本物の紳士が取る行為ですね。