大和魂とダンディズム!伊達男バロン西と名馬ウラヌス♪

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           西竹一

 

「オリオンピックの英雄、バロン・ニシ。君は立派に軍人としての責任を果たしたのだ!ここで君を失うのは惜しい。こちらに来なさい。われわれは君を手厚く取り扱う!」

 

1932年ロサンゼルスで開催された、第10回オリンピックにおいて8月14日の閉会式に先立って、10万の観衆の中で行なわれた、馬術の大賞典、障害飛越競技。

 

大小19もの障害は難易度が高く、参加11名中、無事障害を飛越出来たのはわずか5名!

 

その中見事金メダルの栄光に輝いたのは、愛馬ウラヌスを駆った陸軍騎兵中尉で男爵西竹一。

 

そして優勝後のインタビューでウラヌスともに闘った気持ちを語った。

 

「We  won」(我々は勝った!)

 

後世まで残るこの言葉に当時日本人に対して、必ずしも良い感情を持っていなかった、アメリカの観客も万雷の喝采を送ったと言われています。

 

父の死後、10歳にして爵位と莫大な資産を受け継いだ西。

 

 175cm70kgという当時としては堂々した体躯、14,5歳の頃から、カメラに懲り自宅に暗室まで作り、ハーレー・ダビッドソンの大型バイクや、高級車クライスラー、モーターボートまで所有していました。

 

坊主頭を頑なに拒み続け、軍服は一流のテーラーでオーダーメイド!軍帽も特別仕立てで「西式軍帽」と言われたそうです。

 

派手好みの西が好んで披露していたのが、愛車クライスラーを飛越するという離れ技!

 

            西竹一車飛越

 

卓越した技術と体力、勇気そして自信が成せる技だと言えます。

 

「バロン西とウラヌス号物語」によると。数少ない民間人の弟子の一人である牧田清志氏は、西の馬術と人柄についてこう語っておられます。

「西さんは豪快な人柄だけど、

実は大変デリケートなひとでね。

だけどそういった所を、決して

人に見せないという人でしたね。

(中略)

スタイルも精神も大変オシャレな方でね。

フランスのエルメスの馬具、エルメス特注のブーツを履いてね。

拍車もフランスや英国の総て特別製でしたよ。

一見なんの苦もないようなことだけれど、実は大変難しいことをさりげなくやってしまう。

ダンディズムを体現した方ですな」

 

 ロサンゼルス滞在中も、当時でも珍しいラジオ付きの、パッカード・コンバーチブルを現地で購入。

 

日本馬術チーム全員に、自費でタキシードを仕立て、夜な夜なパーティーに出没、英語が堪能でおしゃれ。

 

そんな西を、自国にはない爵位を持つ人に憧れるアメリカ人は「バロン・ニシ」と呼んで話題にしました。確かに話題性のある人物ですね。

 

女性にもかなりモテたようで、滞在中一度だけ夫人に送った葉書の文面には「おれはモテている、あばよ」と書かれていたそうです。

 

             西竹一

 

金メダル獲得後、ヒーローとなった「バロン・ニシ」。ロサンゼルス市長は、西に名誉市民の照合を贈り、競馬会からは終身名誉会員と感謝状を贈られました。

 

西の愛馬であるウラヌスは、体高181cmもある大型のアングロノルマン種で、イタリア陸軍の騎兵中尉が所有していましたが、気性が激しく持て余していました。その馬を西は「私が探していた馬はこれだ!」と自費で購入!

 

価格は500ドル、当時のレートで2000円。15円で家が借りられた時代ですから、かなりの高額ですね。

 

額に星印があったことから「天王星」を意味する、ウラヌスと名付けられたこの馬と、ヨーロッパ各地で好成績をおさめました。

 

じゃじゃ馬を扱うのは、やはり手馴れていたのでしょうか(笑)気性は激しくても、能力の高い馬であったことは確かですね。

 

しかし次のベルリンオリンピックに出場した西は、総合馬術個人で12位、障害飛越団体6位となり、落馬棄権した西に批判が集まりました。

 

そして、帰国してからはその破天荒な性格や、派手な私生活や交流が災いとなり左遷に次ぐ左遷。

 

1945年、遂に最期の地となった硫黄島へ赴任しました。

 

硫黄島での戦闘は、様々な戦記ものにも描かれ、クリント・イーストウッド監督によって「硫黄島からの手紙」という映画にもなり、よく知られるところですね。

 

そして冒頭に記した有名な、米軍による降伏勧告。これは後世の創作であると言われていますが、真偽の程は私には分かりません。

 

アメリカ側から作られた美談だという説もあります。

 

しかし、そのようなエピソードが残るくらい、西がアメリカ人にとって印象的な愛すべき人物であったそんな風にも思えます。

 

西は硫黄島に赴任する前、戦車補充のため、一時東京に戻ったのですが、その時馬事公苑で余生を過ごしていたウラヌスに会いに行ったそうです。

 

西の足音を聞いたウラヌスは、大喜びで駆け寄り、首を摺り寄せ、最大の愛情表現である愛咬したと言います。

 

その時西はウラヌスのたて髪を切り、ポケットに収めました自分の運命を予知していたのでしょうか?

 

そしてそのたて髪を離さぬまま、バロン西は硫黄島の戦闘で最期を遂げました・・・享年42。

 

硫黄島の東海岸には、「西大佐の牌」がありそこには、

「硫黄島 散りて散らさぬ もののふの 心の櫻 咲にほう島」

と刻まれています。

 

バロン西29

(引用バロン西と愛馬ウラヌス号物語)

 

西が硫黄島で最期を遂げた一週間後、東京の厩舎で、後を追うかのように、ウラヌスは静かに息を引き取ったそうです・・・不思議な因縁ですね。

 

この話を思うたびに、私は寺山修司の詩が心に浮かびます。

 

「なみだを馬のたてがみに こころは遠い草原に酔うたびに口にする言葉は いつも同じだった・・・」

 

 

rintaro95.hateblo.jp

 

 

 

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