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プロ野球 あまり知られていないがとてつもない5つの大記録

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コロナ禍で遅れていたプロ野球の開幕が6月19日に決まりました。野球ファンは待ちに待った開幕ですがその陰で夏の甲子園が中止になり球児たちの落胆は察して余りありますね。

 

そこで今回はそんなプロ野球の偉大な記録の話です。

 

 アスリートには記録を残すタイプそして記憶に残るタイプがいますね。目立った記録を残していなくてもずっと強烈な印象を残して去っていった選手も多く存在します。

 

とは言えやはりどんな記録を残したかがアスリートを評価する物差しになることは間違いありません。

 

しかしあまり知られていなくても凄い記録を残した選手もいます。今回はそんな目立たなくてもとてつもない記録にスポットを当ててみます。

 

その前に今後破られないであろう大記録

 

プロ野球でいえば金田正一の400勝、王貞治の868本塁打、福本豊の通算1065盗塁、イチローの4367安打、バースのシーズン打率.389、張本の3000本安打に500本塁打。

 

バレンティンのシーズン60本塁打、江夏豊のシーズン401奪三振とオールスター9連続奪三振これらはプロ野球ファンなら誰でも知っている不滅の大記録ですね。

 

それでは一部熱狂的ファンとマニアしか知らないような大記録とはどんなものでしょうか。

 

落合博満 2年連続50本塁打 両リーグで200本塁打

 

打率.367、本塁打52、打点146で2度目の三冠王に輝いた1985年に続いて翌86年、落合の快進撃は止まらず打率.360、本塁打50、打点116で2年連続3度目の三冠王を獲得。

 

2年連続三冠王は落合の他に王貞治、ランディー・バースが獲得していますが、3度の三冠王は落合のみ。

 

そして2年連続50本塁打は落合が史上初、おまけに両リーグで200本塁打以上も(パ247本セ263本)落合ただひとり!

 

こうしてみると改めて凄い選手だったことが分かりますね。

 

2011年野球殿堂入り。

 

大杉勝男 セパ両リーグで1000本安打

 

プロ野球で通算本塁打、打点共に歴代9位の記録を誇り東映、日本ハム、ヤクルトと渡り歩いたスラッガーの大杉勝男。

 

東映フライヤーズにテスト生として入団しますが、球団からの評価は高いものではなく2軍に埋れてしまうところを、当時打撃コーチであった初代ミスタータイガースの藤村富美男にその才能を見出されます。

 

3年目からレギュラーに定着すると打撃センスが一気に開花!1972年には当時の日本記録である月間15本塁打を達成。

 

しかし1974年のシーズンは極度のスランプに陥りその年のオフにトレードでヤクルトへ。新天地で見事復活を遂げ1983年に史上初の両リーグ1000本安打を金字塔を打ち立てました。

 

また両リーグ200本塁打にも王手をかけていましたが(パ287本、セ199本)1983年持病の不整脈の悪化により残念ながら引退しました。

 

そして1992年47歳の若さで死去。

 

1997年野球殿堂入り。

 

稲尾和久 756試合登板で276勝して防御率1.98

 

西鉄ライオンズのファンから「鉄腕」「神様・仏様・稲尾様」と呼ばれた偉大な投手稲尾和久。

 

稲尾も落合や大杉と同じように入団当時から注目されていた選手ではなく、西鉄三原監督は「稲尾は打撃投手として獲った」と言っていたそうです。

 

しかしキャンプの打撃練習で18歳の稲尾は西鉄の主力バッターをバタバタと打ち取り、三原監督もその実力を認め見事開幕1軍入り。

 

そして高卒1年目のシーズンを21勝6敗、防御率1.06という素晴らしい成績で終え新人王を獲得。

 

その後の活躍は投手としてはまさに空前絶後と言えるもので日本シリーズ4連投、史上最多のシーズン42勝、金田でさえできなかった歴代投手で唯一の3年連続30勝など凄みすら感じさせる記録を達成。

 

1962年にはプロ入り7年目25歳で通算200勝を上げています。そしてなんと言っても驚異なのは276勝という勝ち星を上げながら通算防御率がなんと1.98!

 

つまりこれだけの勝利を重ねていながら1試合で2点以下の自責点で押さえたということですね。

 

時代の違いやバットやボールの進化もあり現在と比べるのはナンセンスかも知れないですが、2019年の平均防御率が3.90であることを考えても大記録であることは間違い無いですね。

 

しかし長年の無理がたたって肩を痛めた稲尾は実働14年で1969年現役を引退しました。

 

1993年野球殿堂入り。

 

門田博光 40歳44本塁打

 

門田は南海、オリックス、ダイエーで活躍したスラッガーで40歳を超えてもその力は衰えを見せず「不惑の大砲」と呼ばれ王、野村に続いて歴代3位となる567本塁打1678打点という記録を残した偉大な選手のひとりです。

 

南海時代は3番打者でありながら典型的な中距離ヒッターでしたが、1979年のキャンプで右足首のアキレス腱を断裂の大怪我を負いシーズンを欠場。

 

これを機にホームランを打てば足に負担がかからないとフルスイングの長打狙いに徹しその年41本塁打を記録しています。

 

そして不惑を迎えた1988年打率.311本塁打44打点125で40歳にして二冠王そしてMVPに選出されました。

 

40歳で40本塁打もMVPもプロ野球史上初の快挙で、その後も42歳で31本44歳で7本の本塁打を打ちますが1992年「俺は老衰」という言葉を残して引退しました。

 

2006年野球殿堂入り。

 

谷繁元信 通算3021試合出場

 1988年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団以来ずっと1軍に定着しゴールデングラブ賞を6度受賞し、WBCの日本代表にも選出された名捕手だった谷繁も若手の頃は捕手としての才能に見切りをつけられ外野へコンバートするという構想の当時の首脳陣にはあったそうです。

 

しかしそれを阻止したのがバッテリーコーチであった往年の名捕手大矢明彦で、谷繁は大矢から捕手にとって必要な技術をすべて学んだそうです。

 

そして攻守の要として1998年のリーグ優勝と日本一に貢献するほどの選手に成長します。そして2002年には中日に移籍。

 

ここでも正捕手として活躍し優勝にも貢献、2013年にはプロ25年目42歳で2000本安打を達成。2球団での1000本安打は大杉勝男、金本知憲につぐ3人目の快挙!

 

2014年のシーズンからは選手兼任監督になり2015年には野村克也以来2人目の3000試合出場を達成。

 

その後ケガやチームの低迷もあり2016年引退。

 

打者としての谷繁は正直2000本安打以外に大記録を残した選手ではありません。しかし3021試合出場はプロ野球選手としては輝かしい勲章だと私は思います。

 

入れ替わりの激しいプロの世界でこれほど長期に渡って1軍でレギュラーを務めるのはやはり彼の非凡な才能のおかげですね。

 

例え記録には残らなくても記憶に残る選手、それが谷繁元信という捕手です。

 

まとめ

 

プロ野球に限らずスポーツにはいろんな楽しみ方があります。スタジアムでプレーに一喜一憂するのも楽しいですが、このようなあまり知られていない記録を調べるのも野球ファンにはたまらないひとときだと言えますね。

 

でもちょっとマニアックだったかな?

 

 

 

 

 

rintaro95.hateblo.jp

 

 

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