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スクリーンで出会った心に残る5人のハードパンチャー♪

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1991年「Battle of the Ages」(世代間の闘い)銘打たれた世界ヘビー級タイトルマッチ。

 

28歳で無敗のチャンピオン、イベンダー・ホリーフィールドに挑戦するの42歳の元チャンピオン、ジョージ・フォアマン

 

その試合前のセレモニーでパーキンソン病に掛かったモハメド・アリがよろよろした足取りでフォアマンに近づきこう話しかけたそうです。

 

「炎のように祈ってるよ。あんたのために」キンシャサの奇跡と呼ばれた試合でベルトを奪われたアリの言葉でフォアマンの顔に笑みが浮かびます。

 

そして早い回でチャンピオンが倒すだろうという大方の予想を裏切り、年齢はただの記号に過ぎないことを証明するために12回を闘い続けたフォアマン。

 

スポーツコメンテーターは「我々のような太った中年にフォアマンは本当に多くの勇気を与えてくれた」とその感動を伝えました。

 

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このようにボクシングは多くの人々の記憶に残るボクサーによって、歴史が作られてきたスポーツですね。当然ながら映画の題材としても数多くの作品に使われています。

 

そこでこれまで観た作品の中で今も記憶に残るスクリーンの中のハードパンチャーハードパンチャーを極私的にチョイスしてみました。

 

今回も「コップ編」に続いてあまりひねりはなく、直球勝負になってしまいました。

 

「傷だらけの栄光」」のロッキー・グラジアーノ♪

 

1956年制作ロバート・ワイズ監督作品。

 

元世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラジアーノの生涯を描いた作品。

 

マンハッタンのリトル・イタリーで生まれ育ったグラジアーノ。

 

この地区は貧困と暴力が支配した街で、当時アイルランド人と並んでいつも痛めつけられていたイタリア人の夢は世界チャンピオンになりこの街を抜け出すこと。

 

貧困が故の家族との相克、グラジアーノは吼え立てます「おやじはいったい何をしてくれたと言うんだ。酒臭い息と拳骨それだけだったじゃないか」

 

そして街を抜け出すためにはどんな辛いことにも耐えるグラジアーノ。「殴られりゃ痛い、けどな痛いと感じれば感じるほどボクシングが好きになるんだ。痛いのを我慢さえすればどぶの中から抜け出せるんだから」

 

これは当時イタリア移民が共有していた感性だったようですね。それは形を変えるとギャング映画なども生むことになるのですが、そこに共通するのは貧困が生み出す飛翔への憧れだと思われます。

 

彼はリングに上がり栄光を手にします。そしてリトル・イタリーに凱旋するシーンが鮮明に蘇って来ます。

 

ポール・ニューマンのその後の長いキャリアの中で、今も私はこの作品が彼のベストパフォーマンスだと思います。

 

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レイジング・ブル」のジェイク・ラモッタ

 

1980年制作マーティン・スコセッシ監督作品。

 

元世界ミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタの自伝をもとにした作品で主演のロバート・デニーロが選手時代と引退してからラモッタを演じるため、約30キロ体重の増量したことでも話題になりました。

 

デニーロの役作りに対するこだわりは「デニーロ・アプローチ」という造語を生んだほどで。この作品でアカデミー賞を獲得しています。

 

ジェイク・ラモッタもやはりマンハッタンのリトル・イタリーで生まれ育ち、前出のロッキー・グラジアーノとは同じ少年院の友人同士だそうです。

 

レイジング・ブル(怒れる雄牛)」と異名を取ったこのハードパンチャーは「俺はリング上で殺されてもかまわないと思った」と語ります。

 

ラモッタもまたイタリア系移民のほとばしるような上昇志向を持ち、そしてそれがリングで彼を凶暴にさせたと言えると思います。

 

シュガーレイ・ロビンソン、マルセル・セルダンというふたりの名チャンピオンを破ったラモッタが心身ともに急激に下降し始めるのは、強盗事件で殺したと思っていた相手が生きていたことを知ってからで、この屈折した心理が映画ではじっくりと描かれます。

 

ロマンティシズムをそぎ落とし徹底したリアリズムを表現したスコセッシ監督の演出、そしてそれを見事に演じきったデニーロの迫力ある名演。

 

それはデニーロ自身もまたイーストサイドで育ったイタリア系移民の子であったことと無関係ではないと思われますね。

 

ボクシング映画の感じるカタルシスより深い人間ドラマと言っていい名作です。

 

 

「ボクサー」のジャック・ジョンソン

 

1970年制作マーティン・リット監督作品。

 

「ガルベストンの巨人」というニックネームで知られた黒人初の世界ヘビー級チャンピオン、ジャック・ジョンソンの生涯を描いた作品。

 

1970年代後半から80年代長きに渡って世界ヘビー級チャンピオンの座に君臨した名チャンピオンラリー・ホームズは、アメリカで黒人の置かれた状況を「黒人でいるのはしんどいことだ。あんた黒人だったことがあるかい?俺はあるよ。むかし金がなかった頃のはなしだよ」と語ったそうです。

 

しかしそれよりも約70年前黒人として世界ヘビー級チャンピオンについたジャック・ジョンソンをアメリカ社会はどう見ていたのしょうか?

 

ジョンソンのドキュメンタリーを制作したケン・バーンズは「13年以上にわたりジャック・ジョンソンは地球上でもっとも有名であると同時に、もっとも悪名高い黒人であった」と評しました。

 

白人女性を妻にしリング上でやリング外でも常に白人ボクサーを挑発するジョンソンに対し、白人はそのチャンピオンの座に一片の敬意も表さなかったのです。

 

時のチャンピオン、トミー・バーンズは黒人であるジョンソンとの対戦を拒み続けますが、ジョンソンはバーンズを挑発し続けついに挑戦を受けさせることに成功します。

 

人種差別がゆえにアメリカのリングに上がれないジョンソンとバーンズは、オーストラリアのシドニーで対戦ここでジョンソンはバーンズを滅多打ちにしてついにタイトルを獲得します。

 

アメリカのボクシング界を追放されたジョンソンは、ヨーロッパを転戦しますがその間にもアメリカはベルトを白人に取り戻すべく画策します。

 

そして遂にキューバハバナで40度を超す炎天下の中、45ラウンド制という過酷なルールの下でジェス・ウィラードにKOされます。

 

リングに横たわり灼熱の太陽を遮るようにグラブで顔を覆うジョンソンを映画はじっくりと描いています。

 

ジョンソンが倒れたのはウィラードのパンチではなく、すべてのことに疲れ切ったかのようなその姿は観るものに深い印象を残してくれます。

 

モハメド・アリがそのボクシングスタイルだけでなく、相手を執拗に挑発するなどジョンソンの影響を受けているのはよく知られたところですが、やはり黒人ボクサーにとってジョンソンはある種の象徴であることは間違いないようですね。

 

因みにジョンソンは引退後ハーレムで経営していたクラブを、ギャングのオウニー・マデンに売り渡しますがそのクラブが有名な「コットン・クラブ」、良くも悪しくもドラマチックな人生を歩んだ男だったんですね。

 

 

「静かなる男」のショーン・ソーントン♪

 

1952年制作ジョン・フォード監督作品。

 

ジョン・ウェインといえばジョン・フォード監督を思い浮かべますが、そのコンビの作品「静かなる男」。

 

アメリカでの試合で対戦相手を死なせてしまったボクサーが、生まれ故郷アイルランドに戻り静かな街で暮らし始めます。

 

誠実な人柄で人気者となったショーンはやがて同じ街に住むメアリーと恋に落ちますが、粗暴な兄のレッドウィルはショーンを気に入らず挑発し決闘を持ち掛けるもショーンはこれを拒絶。

 

試合で相手を死なせてしまい二度と暴力を振るわないと誓ったショーン、しかし決闘を申し込まれ拒絶することは、アイルランドでは臆病者とされそれを恥じたメアリーは新居を出てしまいます。

 

いよいよ覚悟を決めたショーンはメアリーを力づくで連れ戻し、レッドウィルとの決闘にのぞみます。そして街中の人が取り囲む中ふたりは壮絶な殴り合いを延々と繰り広げやがて・・・。

 

この作品でレッドウィルを演じるのはヴィクター・マクラグレン。

 

同じフォード監督の「男の敵」でアカデミー賞を受賞した名優ですが、彼は若いころカナダで賞金稼ぎのボクサーだったことがあり、ジャック・ジョンソンとも6回戦を闘った経験があるそうです。

 

撮影当時ウェイン45歳に対してマクラグレンはなんと66歳!その年齢でクライマックスの長丁場のシーンを演じたのはさすがと言うべきでしょう。

 

人情喜劇の名作です。

 

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「ロッキー」のロッキー・バルボア

 

1976年制作ジョン・G・アヴィルドセン監督作品。

 

もうストーリーを説明するまでもない世界中でたくさんの人が観た映画ですね。

 

あらゆるオーディションに50回以上も落ち続け、ポルノ映画や用心棒で生活費を稼いでいたスタローン。

 

そんな彼がある日テレビで「モハメド・アリ対チャック・ウェップナー戦」を見て、勝ち目がないと言われていたウエッナーがアリからダウンを奪い大善戦、「二度とやりたくない」とアリに言わせた試合に感激し、わずか三日でこの映画の脚本を書き上げたと言います。

 

脚本を持ち込まれたプロダクション側は、7万5千ドルという破格な脚本料で映画化する条件として「ポール・ニューマンアル・パチーノなどの有名俳優を起用する」と注文をつけましたがスタローンはこれを拒否。

 

自らが主演することにこだわり、長い交渉の結果脚本料は2万ドルに、俳優としてのギャラは組合が設定した最低金額での出演となりました。

 

それが世界中で大ヒット!スタローンは一躍大スターの仲間入りし、シリーズ化までされることになろうとはさすがのプロダクション側も予想していなかったようですね。

 

この作品のというよりこのシリーズの優れているところは、毎回魅力的な敵役が登場するところですね。

 

1,2でのアポロ・クリード、3のクラバー・ラング、4ではイワン・ドラゴとそれぞれタイプの違う個性的な対戦相手が作品をより盛り上げています。

 

闘いが終えたロッキーが「エイドリアン!」と叫びリング上で抱き合うラストシーンは有名ですが、この作品にはもうひとつのエンディングがあったそうです。

 

それは闘いを終えたロッキーが控室に戻ると待っていたエイドリアンが、小さな星条旗をロッキーに手渡しふたりで会場の裏口から出ていくというものだったそうで個人的にはこちらの方が良かったかなとも思います。

 

「イタリアの種馬」ロッキー・バルボアのサクセスストーリーが、そのままスタローンの人生に投影される。

 

ふたつのドラマを生んだ作品だと言えるでしょうね。

 

 

 

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