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自分流儀のダンディズム♪

元料理人そして元バイヤーがファッション、映画、小説、音楽好きなことを好きなように語ります。

歴史ミステリー?3つの珍説を考察する♪

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今週のお題「行ってみたい時代」

 

 

rintaro95.hateblo.jp

 

  今週のお題は「行ってみたい時代」とのことですが、私にとって行ってみたい時代はこの目で確認してみたい歴史的事実がある時代ですね。

 

現在では歴史的事実も様々な資料も発見されていますね。

 

しかし作家の井沢元彦氏が仰るように、学者はともすれば「資料至上主義」に陥ってしまう事があるようです。

 

資料がないなら認めないというのは、歴史にロマンがあるなら少し寂しい話しですね。

 

よく知られているところでは源義経は衣川から落ち延び、蝦夷からモンゴルに渡ったという義経北行伝説。

 

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またゴルゴダの丘で磔に掛けられたのはイエス・キリストではなく、弟のイスキリでキリストは密かに日本に渡り青森で生涯を終えたという青森キリスト伝説。

 

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このふたつの説は今でも議論になっているのはよく知られていますね。

 

しかし中には「いくらなんでもこれはねぇ・・・」というような珍説もあります。

 

呆れるら笑ってしまうやらのとんでも珍説とは?

 

関ヶ原の黒幕はエリザベス女王!

 

豊臣秀吉が死去した当時、スペインとポルトガルが独占していた日本の銀、その他の貿易を自国で独占しようとエリザベス一世がウィリアム・アダムスを送り込む。

 

家康はアダムスを「三浦按針」の日本名を与え重用しイギリスからの武器供与で見事関ヶ原で勝利天下を手中にする。

 

それ以後オランダが台頭してくるまでは、日本との貿易はイギリスが独占した。

 

以上がこの説の概要ですが「黒幕」とは影で操る人間のことですね。

 

武器供与はあったとしてもエリザベス一世が家康に天下を取らせる意図があったというのは無理があると思います。

 

大砲を始めとするイギリス製の火器で勝利をして家康が、その性能を認めたのは確かで貿易相手国としてイギリスを製品の性能から選んだだけというところが事実でしょうね。

 

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天草四郎は秀吉の孫だった!

 

これもまた珍説ですね。大阪の陣で城とともに自刃したと思われた秀頼は真田幸村(正しくは信繁)の手引で薩摩へと落ち当地で子をなす。

 

それが後の天草四郎で、島原の乱での幕府軍の苛烈なまでの攻撃はキリシタン弾圧が目的ではなく、豊臣家の血筋を撲滅することが真実の目的だった。

 

秀頼が薩摩に落ちていったというのはよく言われることですね。

 

彼の地には「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり鹿児島へ」というわらべ唄も残っているそうです。

 

ただ豪傑や有名な武将には、彼らを生かしておきたいという民衆の希望があるからでしょうか、それまでにもたくさんの生存伝説がありますね。

 

鎮西八郎為朝や義経に石田三成、明治になってからは西郷隆盛など。

 

西郷生存説などはそれが原因でロシア皇太子の襲撃事件まで起こっています。

 

これもそのひとつでしょうが、秀頼自身後世語られるような人物とは思えないところから、やはり徳川幕府に対する不満が豊臣家を懐かしむ世論を生んだのかも知れないですね。

 

しかし197cm160kgあったと言われる秀頼を花のようなるとはねぇ(笑)

 

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伊達政宗はスペイン人だった!

 

正宗の母親の夢に白髪の僧があらわれ胎内を借りたいと言う。そして夢からさめた母親は子供を身ごもり出産したのが正宗だった。

 

白とは本来、銀(しろがね)を略した言い方で白髪の僧とは銀髪のスペイン人だった。

 

そして後年政宗が遣欧使節団を送ったとき当時のイスパニア、現在のスペイン国王に忠誠を誓い領地を献上しようとした。これが政宗がスペイン人だという証拠である。

 

冗談もたいがいにしろ!と言いたくなるような珍説中の珍説ですね(笑)

 

政宗はご存知のように幼いころ天然痘にかかり、片目を失いそれが元で独眼竜と呼ばれていますが、正宗の墓を発掘調査したところ独眼竜ではなく両目があったそうです。

 

しかし記録によると政宗は右目を恥ずかしく思い隠していたとされますが何故か!

 

そこでこの珍説の発見者はこれを利用しない手はないと考えたのでしょう。

 

右目を恥じていた理由はなんと・・・政宗はオッド・アイだった!

 

オッド・アイとは左右の目の色が違うことを言い、色素の薄い白人に多いところから政宗はスペイン人の地を引いていると断定します。

 

もう参ったとしか言いようのない珍説ですね。

 

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確かに資料を追うだけでは歴史の真実が見えないこともあると思います。

 

解釈が自由なところも歴史を楽しいものにしてくれます。

 

そしてこのような諸説珍説入り混じったところも又歴史の奥深さというべきものかも知れないですね。

 

 

rintaro95.hateblo.jp

 

 

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