安保法案が参院で可決され、戦後日本の安全保障も大きな転換期を迎えました。
しかし今から約150年前、それまでの価値観をすべて覆すようなこの国の大きな転換期が幕末明治の時代だったと思います。
そしてそのような歴史の転換期には、古い秩序を破壊し新たな秩序を構築すべき英傑を天が世に送り出す、これも又歴史が証明してますね。
そんな時代の英傑を現代の感覚でもし自分の上司だったらを考察してみました。
もちろんあの時代の人間を現代の価値観で語ること自体がナンセンスで、異論も多々あるかと思いますが、あくまでも個人的な考察なのでそこは広い心でお読み下さい!
西郷隆盛。
やはり維新の英傑と言えば真っ先に思い浮かぶのはこの方なのは、万人が認めるところでしょうね。
人格者です!おそらくその人格で周りの者を惹きつけたという点において、歴史上稀有の存在であったと思います。
明治になって参議、日本で最初の近衛陸軍大将となり位人臣を極めた感がありますが政治家、軍人としてどのような国家観の持ち主であったのか、国家運営をどのように行っていくつもりだったのか不明な部分も多々あります。
そしてその高潔な人格とは裏腹に、嫌になったら物事をすぐに投げ出してしまうという欠点があり大久保などから度々指摘されているのは、よく知られたところですね。
幕末の西郷と明治になってからの西郷は別人にようだとは、よく言われることですが少なくとも晩年の彼は自分の役割りは神輿になり切ること、そう考えていたふしもあります。
上司として懸命に仕えていても、嫌になったらいつ辞表を出すのか部下としてはヒヤヒヤするのではないでしょうか?
上司だったら?
一蓮托生で会社を辞めてまで、どこまでも付いて行く覚悟のある部下には魅力的でしょうが。
仕事を最後まで全うしたい!そんな風に考えている部下にとってはその人格的魅力と仕事の間に立たされツラい思いをするタイプかと思われます。
部下にとってもほんとうのところ、大き過ぎてよく分からないがどうしようもなく惹かれてしまう、そんな上司であるように思います
ただ仕事を離れてもいつまでも慕われる上司であったことは間違いないですね。
大久保利通。
官僚制のレールを敷いた優秀な政治家ですが、その反面内務省を設立し内務卿として実権を握ると、強権的政策を断行した権力者として側面もあり。
当時から現在に至るまで、人気という点では同時代の元勲に劣るのは事実です。
大久保の特徴は何と言ってもその天性の威厳ですね。
「冷厳なること北海の氷山のごとし」と言われ寺田屋騒動で、同藩の有馬新七を討ち取った典型的薩摩隼人の奈良原喜八郎も、宴会の席で泥酔したところを大久保に一瞥されて震え上がったとか。
その他にも内務省では大久保の足音が聞こえただけで、話し声や笑い声が止み水を打ったように静まり返ったなどその威厳にまつわエピソードには事欠きません。
しかし陳情を受けて一旦引き受けたことは、どんな障害があっても必ず実現させたそうで、そのようなところが人々に畏怖の念を抱かせたのかも知れないですね。
そしてもうひとつ特筆すべきはその金銭に対する清廉さですね。死後大久保の遺産整理をしたところ、何と現在の金額で2,4億円もの借金が残っていたそうです。
これは不足した公金を賄うために自身名義で借金をしたもので、大久保の清廉さをよく表しているエピソードですね。
そのあたりが金銭スキャンダルの多い長州系政治家との違いなのでしょうね。
上司だったら?
とにかく恐い!(笑)まず部下から意見など絶対に言えることはなかったでしょう。
しかし時の大警視川路利良によると、一度任せるとどんなことがあってもバックアップしてくれるで安心して仕事に邁進出来たそうで、きちんと結果を出す人間は正当に評価していたようですね。
桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺されて、幕府の威信は失墜しましたが大久保が暗殺されても政府の政権基盤が揺るぎませんでした。
これは大久保の近代国家に向けての改革が実を結んでいた証拠であると思われます。
冷厳な完全主義者、そして有能な人間は他藩出身でも取り立てる懐の広さ、この人も理解するには相当の時間が必要な上司と言えそうですね。
木戸孝允。
言うまでもなく維新三傑のひとりにして長州閥の総帥!
木戸を松下村塾の塾生で松蔭門下のひとりだと思っている方も多いようですが、彼は言わば客分的存在で、厳密に言えば松蔭門下ではありません。
幕末「逃げの小五郎」」と言われ後の夫人幾松とのエピソードが有名ですが、維新の三傑と呼ばれる割には不当に評価が低いのは残念ですね。
政治家として三傑の中で一番見識に優れ確たる国家観があったのは、木戸であったと私は思います。
中でも陸軍中将山県有朋が参議になりたいと画策したとき、「軍人はポリチック(政治)に口をはさんではいけない」と諌めたのは当時からシビリアン・コントロールを理解していた彼の政治家としての見識をよく表すエピソードだと思います。
版籍奉還や廃藩置県も早くからその発想があったようで、その思想は大久保よりリベラルであったと思われ、それがその後の対立を招いたと考えらますが。
両者は互いに畏敬の念を持っていたと言われ、西郷嫌いの肥前の大隈重信は「吾輩が敬服すべき政治家は一に木戸公、二に大久保公である」と述べています。
上司だったら?
確たる国家観を持ち見識も優れた政治家である木戸ですが、後輩にとっては厄介なところがあったようでそれは「愚痴、小言が多い」こと!
幕末薩長同盟が結ばれた場面でも、周りの長州藩士が「木戸さんはよくあんなにしつこく言えるな」と感心(?)するほど西郷に文句を並べ立て。
木戸の死後伊藤博文が挨拶に訪れた木戸の息子孝正に「君の父上のあの性格には困った」と言っているほどで。
その見識や政治手腕とは裏腹にネチネチと文句を言うタイプの上司のようなので、それを我慢強く聞く部下はいいですが短気な部下にとっては厄介な上司と言えそうですね。
よくいるタイプではありますが(笑)
坂本龍馬。
幕末を語るには絶対に外せない坂本龍馬。長州の高杉と並んで今でもそ人気は衰えることない人物ですが、果たして現在の彼に対する評価が正しいものなのか?疑問視されているのもまた事実です。
では何故このように彼の評価が高まったのでしょうか?
その要因として次のことが考えられます。
- 司馬遼太郎が「竜馬がゆく」において彼の功績を過大に表現した。
- 日露戦争の日本海海戦の前、皇后陛下の夢枕に龍馬が立ち勝利を告げた話しが広まり、世間的には無名であった彼の名が全国に広まった。
- 明治政府から厚遇されないことに不満を持った勝海舟が、事あるごとに龍馬のことを喧伝した。
このあたり彼の評価が高まった要因ではかと思います。
事実薩長同盟や船中八策も、彼ひとりの功績の如く語られていますが厳しい階級社会である土佐藩において、後藤象二郎や板垣退助の力がなければ達成出来なかったと考えられます。
ただ亀山社中設立など、発想はユニークで行動力もあったようですがやはり長崎の商人トーマス・グラバーとの関係が明らかになって彼の評価は下がってきたように思います。
上司だったら?
生前よりも死後有名になった人物で、上司としての評価はしにくいですが発想の雄大さと弁舌さわやかなところが、人を惹きつけたようですね。
大風呂敷を広げ部下を引っ張って行くタイプの上司。
勢いで行動するので上手く回っているときと、そうでないときの差が激しく仲間としては楽しいでしょうが、上司としては危ういタイプではないでしょうか?
高杉晋作。
竜馬と並んで幕末の人気を二分する人物。彼の魅力は長州のれっきとした上士でありながらその破天荒さにありますね。
14代将軍家茂に行列に「いよっ!征夷大将軍!」と声を掛けたり。
わずか80人での功山寺決起のとき三条実美に対して「これから長州男子の肝っ玉をお見せします」と傲然と言い放った言葉など男から見れば実にカッコいい人物であることは間違いないですね。
上司だったら?
そんな晋作ですが、上司となると話しはまったく別です。
まずこの人の中では公金と自分のお金の区別がありません(笑)
さしずめ閨閥で会社の重役になったものの、社長の言うことは聞かないし交際費は使い放題!
社命で海外買い付けに行っても現地に着く前に資金を使い果たしてしまう。事実今の金額にして数億円という身にに覚えのない請求が来たとき藩の重役は絶句したそうです。
そして注意されると「10年暇を頂きます」と勝手に辞める。間違いなく横領罪で実刑判決を受けるでしょうね。
しかしひとたび会社にM&A(敵対的買収)を仕掛けられると思いもよらない奇策を次々と繰り出し。
4カ国連合との話し合いに臨んだときのように、どんなタフはネゴシエーションにも傲然と怯むことなく相手を煙に巻いてしまう。
つまり平時にはまったく役立たずですが、ことが起きるとこれほど頼りになる人はいないという誠に厄介な人物ですね。
はっきり言って上司にしない方が無難です(笑)
どれも幕末を代表する人物であることは間違いないですが、乱世でこそ活きるタイプと近代国家と創造して行くタイプなど様々ですね。
ここまで書いてきてやはりつくづく思いました!
今の時代に彼らを当てはめるのはやっぱり無理があるようです(笑)